群馬の温泉旅
一昨日(7/30)まで群馬県へ車で一人旅してました。
群馬県の沼田から、尾瀬へと向かい、大好きな立ち寄り湯「花咲温泉」と、
国道17号を月夜野から三国峠へ向かい、峠を散策。
三国トンネルのすぐ脇が登山口。昔とまったく変わり無いのがいい。
三国峠から平標山までの登山道は中学2年の夏、ちょうど7月下旬に父とふたりで
初めて山歩きしたところです。
またこの道は、20年前の7月下旬、役所を辞めて最後の余った有休休暇で、
訪れた場所でもあります。
さらには、娘が小学校3年の時の夏休み、初めての登山にふたりで一緒に登った道です。
親子三代で訪れている、想い出だらけの登山道です。
平標山までの長い尾根道は、ブナ、ミズナラ原生林も深く、
だんだんと高山帯の植物まで、豊かな植生が観察できます。
鳥や、昆虫の種類も豊富です。
今回もこの場所に来れて、本当に良かった。
こういうときに、「ああ、役所を辞めて本当よかったー。」
って思うんです。
帰りには、また沼田まで戻り、花咲温泉のすぐ隣の「ささの湯」をはしごしました。
夕方になり、ひぐらしがカナカナカナと合唱の中、露天風呂でくつろぎました。
まだまだ、人生も「旅の途中」なんだなあ。
そういえば、大好きなスピッツの曲で「旅の途中」というのがあったっけかなあ。
* * * * * * * * * * *
この旅の途中、吹割の滝に立ち寄りました。
国道から滝へ向かう路地で、妙な昆虫がややゆっくりと私の顔の前を、
ぶーんと横切り、あっ、ハチかなと思いましたが、
細くて触覚が長く、 ハチにしては見たこともないブルーがかった胴体で、
その瞬間、私が子どもの頃から憧れていた、しかし未だに出会ったことのない、
ルリボシカミキリとわかりました。
飛ぶのがとても上手で私の手のひらに止まってもすぐにぶーんと飛び立って行く。
道に沿った私有地の垣根から、その家の花に止まったところを写真に撮りました。
ルリボシカミキリ、ついに出会った!
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crispy さま
初めまして。
少し前から、
津留晃一さんワードから、こちらのブログを拝見させていただいてます。
gowと申します。
ロム専用で、これからも密かに読ませて頂こうと思っていたのですが、
日々の生活に耐えられなくなってきてしまい、思わずコメント残させていただきました。
良かったら教えていただけると嬉しいです。
20年前に公務員をお辞めになられた時の心境というのは、やはり、並大抵の覚悟では出来ない行動だったと思うのですが、
その時というのは、かなり自分の中で追い込まれた上での決断だったのでしょうか。
それとも、例えやめたってどうにでもなる。というような確信のようなものがあったのでしょうか。
自分の場合ですと、少しでも余裕があるうちは、(今の環境に対する)
行動に移せないような気がするのです。
窮地に追い込まれて、
もう、こんな生活沢山だ!
こんな人生が続くくらいなら、死んだ方がマシだ!
くらいにならないと、恐怖心や不安が勝ってしまって、動けないと思うのです。
ある意味、どうにでもなれ!みたいな捨て鉢のような感じにならないと。
でも、そのXデーが、じわじわと胸の中に迫っているのを感じています。
今が一番苦しい時なのかもしれません。
crispyさまに、是非ご助言をいただけると幸いなのですが、
現在、私に出来ることというのは、この感情の後に出てくるであろう、次の現象か見えてくるまでは、無駄に足掻かず、自然に任せておけば良いのでしょうか。
最近では、自然に任せておくという意味が分からなくなってきてますが、、、
とにかく毎日が苦しく、けれどどうすればいいのかも分からない状態で、
突然のメッセージを失礼しました。
投稿: gow | 2017年8月 2日 (水) 09時15分
gow様
こんにちは。
コメントありがとうございます。
公務員を辞めた当時を思い出して書いてます。
〉その時というのは、かなり自分の中で追い込まれた上での決断だったのでしょうか。
私の場合は全く追い込まれての決断ということではありません。
逆に楽しみの方がほとんどでした。
〉例えやめたってどうにでもなる。というような確信のようなものがあったのでしょうか。
たぶん一般的な脱サラで独立、とかの人はそうなのかも知れませんが、私は確信なんて何も無かったです。今も、これから先の確信なんてありません。
〉窮地に追い込まれて、もう、こんな生活沢山だ!こんな人生が続くくらいなら、死んだ方がマシだ!くらいにならないと恐怖心や不安が勝ってしまって、動けないと思うのです。
やっぱり、そんな感じでは全くありませんでした。まして、死んだ方がましとか、考えたこともありません。
私の場合は、辞めるときは、宇宙では守られていない人は誰一人いない。
という感覚でした。今もそうです。
辞めると完全に決断する以前の段階では、苦しい時期もあったかと思います。
とにかく組織というものが苦手でしたので。
でも、完全に決断してからは1年位ありましたがむしろ楽しみなだけでした。
委ねる人生って、どういうのか実践してみようと。
妻も子もいましたので、
家族で絶対に自由な中で平和に生きて行く、という「選択」です。
捨て鉢ではなくむしろ逆で、自分の人生に対して、愛を注ぎ込むということです。
これは今だって毎日実践中です。
こんな感じでした。
自然に任せる、委ねるということですが、
そこには無理してやることは何もないと思います。
ありがとうございました。
crispy
投稿: crispy | 2017年8月 5日 (土) 12時38分
crispy 様
返信ありがとうございます。
とても興味深く読ませていただきました。
不安などなかった、なんて凄いです。。
>宇宙では守られていない人は1人もいない
この境地が全てなんだろうなと思いました。
このことを信じきれるかどうか、なんじゃないかと、読ませていただいて感じました。
自分には、まだまだ手放す観念が沢山あるようです。
読ませていただいて、何だか前向きになれました。
crispy様の文章は、いつも毛羽立った心を落ち着かせてくれます。
読んでいてとても心が安心します。
ありがとうございました。
投稿: gow | 2017年8月 5日 (土) 20時52分
gow様
こちらこそありがとうございます。
当時の新鮮な自分を思い出す機会でした。
私も手放す観念だらけで、それこそ旅の途中です。
ともに光ある日々を行きましょう。
投稿: crispy | 2017年8月 6日 (日) 08時50分