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音楽

2016年7月11日 (月)

フォーク酒場

5月頃からだけど、ギターを弾き始めていて、

 
夕ご飯終わってから車で出かけては、
 
イオンの駐車場で車の中でギターを練習している。
 
イオンは22時までやっているし、次の日の買い物も出来るし、
 
何より駐車場の照明が強力で、車内でもコード譜面が読めるのだ。
 
車でギターなんてとても怪しいんだけど、
 
事務所は賃貸でガンガン鳴らせないし、自宅は家族の手前もっと条件は悪く、
 
結果的に車の中で練習になってしまうのだ。
 
月1、2回は都内のフォーク酒場でギターで弾き語りをやる。
 
お客さんがステージで演奏するというお店だけど、そういうフォーク酒場なるお店が全国にあり、
 
ほとんどが70年代のフォークソング中心のお店なのだ。
 
私も、もろに70年代のフォークブームに中学生で、ギターを始めたので、
 
そんなお店に行くと、まさにその時代のギター少年達が集まっているのだ。
 
皆さん私よりちょっと年齢上の人が多いのだが、
 
当時のギター少年達にとっての神は、吉田拓郎である。
 
私もそうだ。
 
洋楽では、たくさんのロックバンドがいるが、我らフォークギター少年にとっては
 
ビートルズとS&G。
 
面白いのは、そんなお店に集まってくるおじさん達は、出身地が全国的なのに、
 
細かいギターテクニックがほぼ同じだということ。
 
それでやたら全員と話が合う。
 
合わないところがない。
 
Jazzのお店のジャムセッションと違い、緊迫感がない。
 
でも、ほとんどステージではたった一人で弾き語りなので、
 
別の緊張感はある。
 
そしてやたらと皆あったかい。
 
フォーク酒場と言っても、私は酒飲んでギターは弾けないので、
 
いつもオレンジジュースだ。
 
そんなんで最近ギターを弾きすぎて左手肘がテニス肘になってしまい、
 
整形外科に通いだした。
 
 
 

2012年2月 4日 (土)

オルガン奏者、ヘルムート・ヴァルヒャ

音楽の記事が少ないなあと思って、たまに書きます。

私は本当に小さい頃から音楽に救われてきたというか、関わって来たとも言えるし、
今でも仕事中色々の音楽をかけっぱなしで過ごしています。

大学生の頃、たまに原因不明で夜眠れない事がありましたが、

救ってくれたのがヘルムート・ヴァルヒャというオルガン奏者の演奏した作品

「18のコラール」です。

ヘルムート・ヴァルヒャはJ・S Bachの鍵盤曲演奏家の最高権威と言われた人です。

このひとのBachは荘厳さ、精神性の高さで本当にすごいです。

私はチェンバロ奏者としてもオルガン奏者としても最高に好きです。

1991年に亡くなられています。

フランス組曲、ゴールドベルク変奏曲、平均率などのチェンバロ作品。

トッカータとフーガ、パッサカリアなどのオルガン作品。

どの作品をとってもヴァルヒャでしか表現出来ない音宇宙です。

「18のコラール」は心の静寂をプレゼントしてくれました。

それ以外、表現する言葉が見つからないのですが。

最近はクリスマスの夜、キャンドルかなんかで、家族でケーキを食べるような時、

BGMにしたらかなり良かったです。

持っているのは、アナログレコードのアルヒーフ盤「18のコラール」ですが、

6つのコラールと18のコラールが一緒になってCDになっています。

* * * * * * *

ヘルムート・ヴァルヒャ

オルガン・チェンバロ奏者。1907年ライプツィヒに生まれる。

1991年没。

ヴァルヒャは幼い頃に天然痘に罹った結果(または種痘の副作用の結果)、視力を奪われ、ライプツィヒ音楽院在学中の16歳までに完全に失明した。

少年時代は母親によって、結婚してからは夫人によって、左右の手(と、オルガンの場合は足鍵盤)のパートをそれぞれ別個に演奏してもらい、それぞれを絶対音感によってしっかり記憶に焼き付けてから一つの楽曲へとまとめ上げたという。バッハの鍵盤作品は40歳頃までに異稿まで暗記。

ギュンター・ラミン氏に師事。

その後1926年には聖トーマス教会の副オルガニストに就任するも、1929年以降はフランクフルトに拠点を置いて、フリーデン教会のオルガニスト、フランクフルト音楽大学教授、ドライケーニヒ教会オルガニストといった職を歴任。

ヴァルヒャの演奏は当時、新たな規範的演奏とみなされた。のちに古楽器による演奏が全盛時代を迎えても、彼に取って代わる演奏はいまだ現れていないと評価する者も多い。

ヴァルヒャのバッハ演奏はポリフォニックな旋律線を一本一本、くっきりと際立たせて聴き手に聴かせる。不要なストップ増強による大音響で各旋律線を混濁させることなく、バッハの音楽のもつドラマ性そのものを、壮大な建築を思わせる天才的な構成観をもって再現する。その演奏はつねに各声部があざやかに聴き取れる。

楽譜の校訂、作曲なども行なう。厳格なバッハ演奏で一時代を画した。

* * * * * * *

画像:Helmut WalchaのCD「18のコラール」

Walcha

2012年1月28日 (土)

30数年ぶりに僕のギターが帰って来た。

1月26日、高校時代の友達ひろし君と北千住で飲んだ。

北千住というのが俺ららしい。

酒を飲む事自体が、元旦にすこし飲んで以来なので大丈夫かなと思ったが、この歳になって酒無しで会うなんて無茶だろう。

ひろし君は高校のときやってたバンドのドラマーで、ギターもかなり出来るやつだ。

私が中学2年の時に父に買ってもらったギターがいろんな人たちの手を渡って

彼の家にあるという事で、持って来てくれるというのだ。

一時存在すら忘れていたが、このギターがひろし君の家にあるという情報を、年末にE君(当時の別のバンドメンバーの一人)に聞いて連絡してみたら、

「あるよ! でもこのギター、バーコーのギターだったの?」とのこと。

本当に奇跡的な事だった。

ひろし君とも10年以上会っていなかったので、5時間近くあまり料理も食べず、音楽の話と高校時代の話でしゃべりっぱなしだった。

とてもとても楽しい再会だった。
音楽仲間は本当に楽しい。
たぶんそのとき楽器が目の前に2台あれば、すぐ音が合ってしまうものだろう。

共に高校生の子供を持つ父親になってしまった。

むかしお茶の水の石橋楽器店で買ったグレコのSG。
中学2年だったので、父も一緒につきあってくれた。

父は、商売をしていたが、クラシック音楽マニアでもあった。

今では考えられないが、当時ギターをやるなんて不良の代名詞だし、何よりとても高い買い物だっただろうが、父は子供が音楽をやる事はまったく反対しなかった。

確か¥28,000を父が¥25,000だったか、お店で値切ってくれたのを覚えている。
こんなくだらない事を覚えているものだ。

もうフリマで¥1,000でも売れるかわからないような代物だが、
僕にとっては、¥100,000の価値がある。

ひろしもたまに風呂上がりに弾いてくれていたようで、全然音は狂っていない。

なぜこんな展開になったのか、「僕のエレキギターが帰って来た。」
これが起きてきました。

こいつを弾いてみたら(アンプが無いのだが)忘れていた当時の映像が次々出てくる。

ビートルズのコピーバンドがスタートだったなあ。

日々、「手放す」事をやっているが、こんなのもたまにはいいものだ。

久しぶりにこの日、僕とひろしはギター少年になった。

ひろし、ありがとう。

写真:帰って来た、グレコSG

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