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津留晃一さん(その4)「俺がやらなきゃ」という価値観。
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その3では、わたしが津留晃一さんに出会って、「お金に対する恐れ」の浄化を開始した話でした。
「お金に対する恐れ」は手強いです。人々の集合意識として根深いので、何年か浄化しても簡単に取れるものではないのです。
私は、一枚一枚タマネギをむくように取れていきました。
このことを知っていると少し気持ちが楽になります。
昔より全然小さくなりましたが、私もまだ自分の中に観察出来ます。
今は、私が始めた当時に比べて、地球のエネルギーレベルが相当上がっているし、サポートもたくさん来てるし、早いと思います。
ただ、そんなシナリオの人が、あまり先延ばしで行くとギャップが大きくなると思います。
この「お金に対する恐れ」ですが、根っこではありません。根っこにはある価値観がドーンと存在しています。
それは、
「おれが(私が)やらなきゃ。」という価値観です。「おれ(私)という自我」
これが根っこです。
これががっちりと基礎を固めているのです。
「お金に対する恐れ」はこれの枝です。
この「おれが(私が)やらなきゃ。」という価値観があるために、
お金稼がないと生きていけない、こんな事しててはいけない、何とかしなくちゃ、遊んでばかりじゃバチが当たる、といった罪悪感や、一生懸命働かなくちゃ、などなど。
これらは全て「おれが(私が)やらなきゃ。」という価値観の枝分かれです。
(楽しくて楽しくてしょうがない仕事を一生懸命やっちゃった、という状態は別ですよ。)
「おれが(私が)やらなきゃ。」は、3次元で生きて来た私達固有のモノです。地球人だけなのです。
もう卒業(卒園)する時期になっています。
宇宙から見ると、地球人類はようやく幼稚園を卒園し、小学校に上がるそうです。
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津留晃一さん(その5)「意図する」。
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津留晃一さんとは個人セッションで4回、講演会で1回会う機会がありましたが、4回目に笑いながら「もう来なくていいでしょう。」と突き放された?ので、それ以来お会いする事はありませんでした。
1997年7月公務員を辞めてから、日々浄化のワークなどやりながら我が子と一緒に遊んでいました。
朝から都内のドトールコーヒーで精神世界系の読書で時間つぶしたり、同じような感性の友達と旅行に行ったり、そんな「しあわせ感」いっぱいのプータロー生活で、1年近く過ごしていました。
当時、わずかな退職金があったので、私と妻と1才半の子と3人で、またHawaiiに3か月旅行に行きました。大好きなMauiです。
コテージで自炊の長期滞在ですが、Mauiは、ベジタリアン人口が多く小さな田舎町のKiheiにも自然食品店があり生活しやすいです。
最後は現地の人のようになっていました。
この旅は最高でした。仕事辞めてよかった、と心底思いました。
そこでほとんどのお金は使い果たしました。
こんなにすばらしい旅から帰って来て、待っていたのは「恐れ」です。
やはり「こんなことやってていいのか」、という恐れ。
ある事に気付きました。
この「恐れ」があるという事こそ、浄化の旅に船出をしている確かな証拠であると。
限定された世界から、いったん自由になると、今まで隠されて来た「恐れ」というエネルギーが表面に浮かび上がって来たという事です。
「恐れ」に面と向かう。逃げない。
逃げると相手はどこまでも追っかけてくる。
またお金を得るために、就職なんかしたら、「恐れ」は消えるだろうか?
けっして消える事は無いのだ!
いったん隠されるだけで、わたしのオーラ・フィールドには、永久に「恐れ」は残っているのである。
なぜならそれは、エネルギーだから。
私が魂として進化するとしたら、このエネルギーを浄化しない限り次のステップに進まないという事です。
大きな発見でした。逃げるわけに行かないのです。
あーあ、じゃあ取り組むか、、、てな感じです。
このころには、かなりガイドさん達にきたえられたのか、ビビらなくなってきました。
津留さんの、言葉です。
「恐れなくなるには、慣れてしまえばいいんです。」
私も「働かないと生きていけない。」という価値観を手放して、いったん離職はしたわけですが、3次元で生きているのだから、なんらかの収入が入る方法が必要なわけです。
それでも、これまでのような、食べるために人生を切り売りして働くという種類の生き方に戻っても、それはただ転職しただけという事になります。
そこで私の場合ですが、次のように決定しました。言い換えれば宇宙に対して要求しました。
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《私は、会社やいかなる組織にも属さず、時間が100%自分で管理出来る自由な仕事をする。
休みたいときに仕事は休み、逆に仕事が乗っている時は、何時まででも出来る、こんな仕事をする。》
と意図しました。
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「意図するという事は、それ以外を選択しないという決断でもあります。」
この辺のインスピレーションは、津留晃一さんもありますが、その頃読んでいた本「プレアデス+かく語りき」、「神との対話」からの影響かもしれません。
家も前年に建てたので、住宅ローンがあり子供も居るので、それに必要な収入は宇宙が用意してくれる、と決めました。
その方法も、全て宇宙に要求するのです。
必要なもの全てです。
きっとそんなことが起きてくる、と不安を払い、信頼に持っていきます。
親や友達の援助だけは、絶対に受けない覚悟で、とにかく必要なものは、全て宇宙にあるはずですから。
ましてこんな考え両親や友達には、話せません。
頭が変になったとしか思われないでしょうから。
実際自分でも、おかしいんじゃないかと思った事もあります。
そんな存在がいたのでしょう。
すぐに「恐れ」が頭を持ち上げてきます。
でも出てきた時は浄化のチャンスです。
そんな「意図」の後、退職してから10ヶ月くらいあとです。ついに起きてきました。
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津留晃一さん(その6)「起きてくること-前編」。
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その後、私に「起きてきた事」を書きたいと思います。
わたしにとっては、それまでの私の経歴では考えられない人生の展開なので、今でも信じられないのですが。
そんなわけで、書いてみる事にしました。どなたかの、少しでも参考になればという事で。
一番お伝えしたい事は、
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宇宙に委ねていると、起きてくる事が。
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実にたくさんのシンクロニシティが起きまくって、今現在の私の仕事が生まれました。
流れを省略しすぎると、その辺の雰囲気が伝わりにくいので、長い話になりますので、2部に分けます。
1998年4~5月のことです。
Hawaii長期滞在から帰って、特に何もする事なく実に質素な日々を過ごしていました。
ある日妻が、うちも大きな鏡(姿見)が欲しいね、と言ったので都内の家具屋めぐりをしました。
目黒の家具屋さんですごくピッタリのデザインの木枠のフレームの鏡が見つかり、オーダーしました。
そう、展示してあるのはサンプルで、オーダーだったんです。
ここからもうシンクロが、始まっているんです。
納期が2ヶ月かかると言われ、前金で支払い待っていました。
待っていたというより全然忘れていました。
いつの日か出来上がって、普通に連絡がくるだろうから。
3ヶ月位して、「そう言えばあの鏡まだ連絡来ないね。」という事で、家具屋さんに電話。
調べてもらったら、まだこれからという事で、さらに2ヶ月もかかるとの事。
そんなのが2回もありました。
もうこのお店やめて他にしようと、返金してもらいキャンセル。
その時でしたが、なぜだかわかりませんが、ふと「自分で作る。」ということが浮かんで来たのです。
家具屋さん巡りしていたときに、別の店にあった木のフレームが頭からはなれず、なぜか作れそうだ、と思っていたのです。
もちろん私は木工の経験はゼロでした。
ただ、そんな制作しているイメージの夢らしきものを見たのを覚えています。
でも結果的に「自分で作る。」と浮かんだ日から2週間後に家具屋さんで見かけたものと同等以上のものが完成していました。
木枠のデザインが、どこのお店にも無いような独特のものでしたが、それら以上に理想的なものでした、
それでも、家の鏡を自分で作った、というだけの事です。
一つのものを作るのにいろいろな材料屋さんが必要なわけです。木材、ガラス、鏡、金具、そして木工機械。
そんなプロの人しか用のない材料屋さんがわずか数日でポンポンと見つかったのも不思議でした。
このあとは、毎日毎日バカみたいに額縁を作っていました。全く売れる見込みのない木の額縁が、家中にころがっていました。
売れる見込みがまったくないのに、なぜだか楽しくてしょうがないのです。
中学のとき、ギターを寝ないで練習してたとき以来のエネルギーです。
どんなに寝不足でも、まったく疲労感が無いのです。
こんなものを売って食べていけるとも思えないし、ましてインテリアの業界なんて全く縁のない世界なので営業する気も起きないで、ただ作っているだけです。
しかし、そんなバカみたいな勢いのおかげで、あっという間に完璧なスキルになっていました。
津留晃一さんに最後に会いにいったのもこの頃です。
額縁の制作が起きてきた事を話すと、アドバイスいただきました。
「売ろうとしないで下さい。」
「売る、と決めて(意図して)下さい。」
「宇宙がやってくれます。あとは信頼です。」
この言葉の深さ、全てに通じますよね。
私が何か恐れから思考に走った時、いつもこの言葉を思い出すようにしてます。
今でも忘れません、この頃、わが家の貯金の合計が残り¥3,000になりました。
まったく「お金に対する恐れ」がありませんでした。
その後の事です。(その7)「起きてくること-後編」へ。
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津留晃一さん(その7)「起きてくること-後編」。
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前編では、一年近く仕事をしない状態で、なんだか委ねたような生活を送っていたら、いくつかのシンクロニシティが起きて、額縁を作るということが起きてきたところまでを書きました。
私の経歴ですが、モノを作るという、いわゆる職人さんとは全く無縁のそれまでの人生です。
大学は理工系の物理方面で、工芸や芸術関係は全く正反対の世界でした。
仕事も都市計画の技術屋です。
子供の頃からかなり多趣味な方で、いろいろ首を突っ込んでは特に何もものに出来ないという特徴はありましたが、手先は器用な方だった様です。
そんなわけで、売れる見込みもない額縁をただ作りまくっていた頃の事です。
妻は以前、都内の広告会社で、百貨店広告のグラフィックデザインをしていましたが、ある日その会社の社長が私の制作した鏡を「何これいいじゃん。」、と持って行ってしまい、仲間のインテリア関係の人がそのデザイン性がなんとかかんとかで、編集関係者を経て有名な女性雑誌に紹介され、突然注文が入りだしたのです。
全国誌に出たので本当にびっくりしました。出ただけでもうれしかったです。
関わった方も日本のインテリアや雑貨業界では知らない人は居ないというプロのバイヤーの方と、スタイリストの方でした。
確かにこの時取り上げられた制作品は、手間がかかるので現在は全く作っていない、かなり斬新なデザインのフレームのミラーです。
ともかく、私は何もしていませんが、作ったものが、勝手に一人歩きして売れだしたのです。
驚いた事に、鏡を探して歩き回った目黒のインテリアショップなんかで私の作った鏡がお店に並んだのです。
注文品を車で納品したものの、納品書や請求書なんてこれまで書いた事がないので、教えてもらう始末です。
ちょうど、わが家の全貯金がなくなって、不思議と恐れも無くなっていた頃です。
1998年5月頃の事で、そのあと格安の値段で、全国規模の展示会に出展出来るチャンスがやってきました。これも奇跡的な事なのです。
それ以降もたくさんの度重なるシンクロニシティというしか言えない出来事でどんどん売上げが増えていきました。
展示会に出て、来た人に説明する以外には、商品の自発的な売り込みは、13年間一度もした事がありません。
そして、最も大きな「起きてきた事」です。
最初は鏡のフレームでしたが、妻に中の絵を描くように頼み、展示会で出したら中のイラスト絵が注目されどんどん売れだしたのです。
結果的に私の額縁は、彼女のイラストを世に出すためのお役目であった、という事でした。
妻はそれ以降フリーのイラストレーターとして活動しています。
以上がその当時の流れです。
「起きてくる事」はその時は、わかりません。あとで振り返るとあああれが、、、という感じです。
津留晃一さんも言ってましたが、「ええ?こんな方法で?」という特徴がある様です。
それまでの、自分の経歴と関係ない事が起きてきますから、とにかく、過去の経験とか得意分野を握りしめないでおくといいそうです。
あの日、
家具屋さんの鏡が、オーダーでなく現品を買えていたら、
また、オーダー品が普通に納品されていたら、
今のうちの仕事はひとかけらも存在しない事になります。
妻が品物を会社の社長に見せなかったら、社長が持っていかなかったら、
どれひとつ欠けても今の私の仕事は存在しないでしょう。
私が、こんな事で食べていけると思っていませんでしたから。
こんな「起きてきた事」で私の家族はとても自由なタイムスケジュールの中で、もう13年も生活しております。
屋号を「クリスピー」に決めました。大好きなバンドSpitzのアルバムタイトルもそうだったので。
ぶっちゃけて言いますと、あらゆる意味でサラリーマン時代に比べてもラクなのです。とても多忙な時期もありましたが、精神的ストレスが無いです。
今は仕事時間平均4時間/日です。天気のよい平日、いきなり旅行にも行けますし。
「私は、会社やいかなる組織にも属さず、時間が100%自分で管理出来る自由な仕事をする、」と意図する。
がその通りになっているようです。
細かくなってしまいましたが、端折るとどうしてもシンクロのニュアンスが、伝わらないと思い、こんな長い文章になってしまいました。
この時点で、読んで下さった方に感謝いたします。