お正月ジャムセッション
池袋SOMETHIN'Jazz Clubにて、お正月ジャムセッションに参加してきました。
池袋SOMETHIN'Jazz Clubにて、お正月ジャムセッションに参加してきました。
8月4日(土曜日)は、練馬区の江古田にあるJAZZ BAR「そるとぴーなつ」で演奏してきました。
今回は、高校の同期の友達3人とのセッションで、何と初顔合わせなのです。
JAZZはこれが出来るのが楽しい。打ち合わせ無しでも、コードとそして曲の大まかなニュアンスを把握していればその場で演奏出来るのです。
お店に着いていきなりボサノバ曲「THE GIRL FROM IPANEMA」のピアノをやる事になり、ちょっと焦りました。
日本を代表する女性アルトサックス奏者さんがフロントをやって下さったので、本当に思ったよりもすばらしい「イパネマ」になったと思います。
ほっとしました。
サビ部分のアドリブは、次回はもう少しちゃんとしようと、課題が残りました。
下の写真には写っていませんが、ギターは同級生のN君。
彼は、高校時代からギターのスターでした。
彼と30年以上経って共演出来たのが奇跡的だし、普段のジャムセッションでない特別の楽しさがありました。
その後、F-BLUESを一曲演奏しました。この時はギターのN君と、やはり同級生のY君がアルトサックスで参加してくれました。
ベースとドラムスの方は名前もわかりませんがとてもナイスなサポートをして下さいました。
セッション参加者がとても多くて皆さん順番に参加していきます。
この日はベースとドラムスの人が多く、ハウスミュージシャンの人はくつろいで飲んでいました。
とても楽しい、真夏の夜のセッションでした。
なんだか最近、JAZZの活動ばかりです。
大学の入学直後、クリフォード・ブラウンのトランペットを初めて聞いた。
その時の衝撃は、とんでもないものだった。
受験勉強が終わって思いっきりJazzが聞けるという事で、ずっと聞きたかったクリフォード・ブラウンのアルバム(もちろんLP)を買った。
私が初めて聞いたブラウニーのアルバムがこの「Clifford Brown and Max Roach at Basin Street」。
1曲目の「恋とは何でしょう」のテーマが終わるや、いきなりのブラウンのソロで、吹っ飛んでしまった。
何て事だ。おれは、こんな音楽を聴かずに今まで18年も生きて来たのか。
Jazzの人たちとの出会いでは、たくさんの衝撃があるがこれはやはりトップクラス。
その後クリフォード・ブラウンのアルバムは学生時代にすべて買う事になったが、何10年経っても一番好きなアルバムはこの「ベイズンストリート」だ。
理由は、ブラウンがすばらしいのは当たり前なのだが、私はロリンズの参加と、リッチー・パウエルのナイスな曲と、その編曲が光っているからだと思っている。
ブラウン=ローチ クインテットのロリンズはいまいち冴えなくて前任のハロルド・ランドの方がなじんでいるなんていう人がけっこういるが、何を言うか、って思う。
ロリンズのテンションが桁違いでしょう。
私は、4曲目以降の流れが好きだ。
04. パウエルズ・プランセス
05. タイム
06. ザ・シーン・イズ・クリーン
07. ガルトルーズ・バウンス
08. フロッシー・ルー
特に、バッピッシュなテーマが楽しいザ・シーン・イズ・クリーンとガルトルーズ・バウンスはモダン・ジャズの名曲だと思う。作曲者リッチー・パウエルのセンスが光る。
ダメロン作編曲のフロッシー・ルーもいいテーマだ。
リッチーのピアノは他のパウエル派と言われる人たちとは一線を画す。
音選びが厳しくてとてもバップで、やっぱり兄貴の直接指導が感じられるのだ。リッチーすごいっす。
クリフォード・ブラウンの音楽と出会うか出会わないかで、人生になにがしかの影を残すと思う。
わたしも、ブラウニーを知らない人生なんてと思うと、、考えられない。
ブリリアントという表現がぴったりな彼のトランペットだが、その人柄を伺わせる、健康的な温かさ。
Jazzという音楽で、勇気づけられる人ってそうはいない。
「Clifford Brown and Max Roach at Basin Street」
Jazzを聞く人ならばだれでもが通るアルバムだろう、Miles Davis「Kind Of Blue」。
今日久しぶりに聞いたのだが、やっぱり断然すごい。
仕事場で、少々大きめのボリュームでこの音宇宙に身を委ねる。
何なんだろう、この世界。
私が、19歳のときにこのアナログ盤を買ったのだが、それ以来何度聞いただろう。
CDも後で購入したが、このアナログ盤でないと、 Flamenco Sketchesの別テイクが入っていて、気分が損ねるのだ。もちろん別テイクが悪いわけがないのだが、アナログ盤を聞いていた大学生の頃の感覚に戻れないのだ。
このアルバムは言葉でその魅力を人に伝える事は困難だ。
「魅力」という言葉も不適切なくらい、私にとって崇高な存在。
全曲を通してひとつの作品と呼ぶにふさわしいアルバムで、いろんなJazzを聞いても、いつもこの「Kind Of Blue」に帰って来てしまう。それでも、毎日のように聞きたいというものではない。
このアルバムはあらためて、本当にヤバイです。
チェンバースとエバンスによるSo Whatのイントロが始まるや、Kind Of Blue意外の何者にも無い空間に閉じ込められる。ああまたここに戻って来たという感覚。
Freddie Freeloaderも大好き、このアルバムの中でちょっと清涼飲料的なのはウィントン・ケリーのおかげだ。全曲ピアノがエバンスでだと緊迫しすぎで、私は1曲ケリーで良かったと思っている。
Blue In Greenのこの世界は、何なんだ。エバンスのイントロ音一発目で、ピーンと張りつめすぎる状態がやってくる。ああまたこれか、という厳しい快感である。マイルスの吹くテーマはそのままソロである。そのあとのエバンスの入りって本当にヤバイ。このエバンスのソロでこの曲の雰囲気が決定的になっている。コルトレーンのソロは鳥肌もんだ。何なんだこの感性。ソロの背後で、コルトレーンを温かく監督するマイルスの存在が感じられる。そしてマイルスの絵画のようなソロ。2度目のエバンスの変化も絶妙。この曲で、キャノンボールの参加を外すところも完璧。
アルバムのすべてが非の打ち所がないのだが、最後のスパニッシュ・モーダルなFlamenco Sketchesも実にいい。これもチェンバースのイントロが美しすぎるのだ。
このアルバムが、モードジャズの傑作とか言う事はどうでもいい。
それよりもJazzの入門盤ベスト10とかに当然入っているだろう事も、「ちょっとまって」と言いたくなってしまう。
Miles Davis、マイルス・デイヴィス、マイルス。
一番愛しています。